アメリカ在住MD PhDの映画日記

映画を見る合間に膠原病の研究をしています

"The Zone of Interest (関心領域)" と"Origin" @ The Little Theater

The Zone of Interest

製作年2023 UK,ポーランド etc

監督:ジョナサン・グレイザー

ザンドラ・ヒュラー

 

ホロコーストをめぐっては、昔から表象不可能性を巡って様々な議論があるが、古典的には「スリリング」で「スペクタキュラーな」『シンドラーのリスト』に対して、反スペクタクルの『ショアー』というような二項対立が議論の入口になることが多い。最近の語られ方などはよくわからないが、しかしSNSにおけるショッキングな映像の氾濫などの現代の条件を踏まえたときに、こうした議論もアップデートされる必要があるのだろう(というかされているのだろう)。ホロコーストというものをジェノサイドのなかでも特に最悪のものと考えるか、ジェノサイド一般と捉えるかは論者によって異なるかもしれないが、ジェノサイドを題材とした作品は例えばアトム・エゴヤンの『アララトの聖母』(アルメニア人虐殺)や、最近では『アイダよ、何処へ?』(スレブレニツァの虐殺)がある。ドキュメンタリーではセルゲイ・ロズニツァの『バビヤール』、アルメニア人虐殺をめぐるアニメーションとドキュメンタリーを混在させた『Aurora』などがある。

『アララト』はアルメニア人虐殺についての映画を撮るという映画、というメタ構造を設定することで、表象可能性をめぐる議論を内包した作品になっているし、『アイダよ、何処へ』では、肝心の虐殺場面はオフ画面で処理される、というように、やはり直接的な描写に対する作家の姿勢がある程度反映される結果となっている。こうした姿勢は20世紀の哲学的な議論を背景とした、より近代的で観念的なアプローチと言ってよく、これらの作品はその達成度とともに歴史に名を残すべき作品だと思う。

「しかし筆舌に尽くせぬ大惨事」の表象をめぐっては、その不可能性よりも、直接的な共感や没入感を狙った手法も最近ではまぁまぁあるように思う(若い世代の歴史的無知に対する苦肉の策という面もある)。前述した『Aurora』をはじめとして、アニメーションによる史実の再現は時々見られるし、これはBBCか何かでやっていたのだが、ホロコースト記念館ではAIを使って犠牲者の「肉声」を再現するというような手法もとられているという。ニューラルネットワークによる白黒写真の色付けについても、こうした効果がよく宣伝される。AI美空ひばりなども含めて、AIによる過去の「再現/捏造」とそれが大した議論もなく浸透しつつある現状にはギョッとさせられるが、NHKスペシャルでやっていたように、ゾンダーコマンド(ユダヤ人をガス室へ誘導したりといったことをナチの代わりにやらされていたユダヤ人)のメモ書きがAIによって再現できたりといったテクノロジーの恩恵もあるから、なかなか難しい。

ナチス強制収容所を直接的な題材とした最近の作品としては、『サウルの息子』があげられるだろう。ここでは、ゾンダーコマンドの男を主役としつつ、カメラは延々と彼の姿を画面の中心におき、最後までガス室に送られる犠牲者の姿を映さないという徹底した「反スペクタクル」を志向した映画であった。

さて、そんななかでこのZone of Interestであるが、アウシュヴィッツの監督者の一家がフェンスを介して収容所に隣接しており、そこには文字通り「楽園」が広がっている、という事態を題材としている。映画は煙突の煙や人々の叫び声によって仄めかすものの、決して壁の向こうを見せず、ユダヤ人から取り上げたと思わしき宝石やミンクのコートを身につけ、「仲睦まじく暮らす」家族を凝視的なスタイルで撮っていく。

ホロコーストを題材としつつ、直接的な描写を避けるという意味では、前述の『アララト』などの部類に入れられそうではあるが、だいぶ違う。直接的な描写を避けるどころか、それ(殺戮)とは無関係な物事が画面には提示されるので、はっきり言えば「ホロコースト」という史実を無視すれば、「出張はつらいよ」とでも言うべき凡庸な家族映画なのだ。映画内のストーリーやキャラクターによってサスペンスやドラマが生み出されておらず、凡庸きわまりない家庭内描写を見せつつ、「この凡庸な風景のすぐ隣で虐殺が起きている」という”メタな知識”が常に要求されているという意味で、現代映画というよりは現代アートだと言いたい。

画面内の出来事について言えば、最初は良いなと思ったカッティング・イン・アクションも、だんだんとワンパターンで飽きが来るし、「煙突から煙が出ている」というのもはっきりいって「紋切り型」としか言いようがない。ベッドに横たわる夫婦の会話シーンのカット処理も全然面白くない。結局のところ、物を介した人物の運動、距離を通じたサスペンスの醸成といった基本的な技術がないということが丸わかりで、いやそれも含めて「反スペクタクル」なのかもしれぬし、スペクタクルに溢れたSNS社会であえてそれをやることに意味があるのかもしれないのだが、それで2時間以上観客を張り付けて得られるものは何なのか、と思った。

 

"Origin"

製作 2023 アメリ

監督:Ava DeVarnay

ピューリッツァー賞作家であるイザベル・ウィルカーソンの2020年のCasteという本(調べたら『カースト アメリカに渦巻く不満の根源』として翻訳されていた)を題材に、イザベルがそれを書き上げていくに至る過程を映画化したというもの。

劇中でもかなり詳しく語られるように、「人種差別」という概念ではなく、「カースト」という概念で考えると、インドのカースト、ナチのホロコースト、そしてアメリカの奴隷制と現在に至る黒人差別が説明できる、という発想を持ったイザベルが、ドイツやインドを訪れて取材していく。エンドクレジットで驚いたのだが、何とヴェラ・ファーミガが編集者役で出ており、また『デーモンラヴァー』のコニー・ニールセンがドイツのインテリ役で出ている。

さて、何というか最近出た本の内容+メイキング+人物伝という盛りだくさんな内容になっていて、彼女が読む本がいちいち映像化され、またホロコーストやインドにおける差別についても映像化され、というように、なんか世界仰天ニュースでも見ているような感じはする。映画として見どころがあるかというと疑問で、しかし確かにCasteは読んでみたいような気はした(ナチスドイツがJim Crowを参考にしたという話もあり。)から、作り手の狙いは奏功しているのかもしれない。。

 

ということで、頑なに表象しない作品と何でも表象しちゃう作品だったが、どちらもイマイチだった笑

ちなみに前者は満席だったが、みな疲労困憊。後者はそれほど入っていないが上映後は拍手喝采