アメリカ在住MD PhDの映画日記

映画を見る合間に膠原病の研究をしています

The State I am in

監督:クリスチャン・ペッツォルト

 

これは配信で見たのだが、自分にとってペッツォルトは現代映画のヒーローなので、記録しておく。

ペッツォルトを初めて見たのは、『未来を乗り換えた男』(Transit)の劇場公開時。実は初見は全然乗れず、ナレーションが多過ぎると思いながら見ていたのだが、終盤に船に乗るか乗らぬかのサスペンスが始まり、最終的に幽霊談のような恐ろしい幕切れとともにトーキングヘッズのRoad to nowhereがかかるという怒涛の展開に接し、何か色々と見逃しているのではないかと思って、翌日にもう一度見たところ、もう全ての画面が素晴らしいという手のひら返しをするハメになったという思い出深い経験がある。生と死が隣り合ったスリリングな手触りは黒沢清のそれとよく似ていると思ったのだが、実際にその後、『スパイの妻』の宣伝にはペッツォルトの賛辞がのり、『水を抱く女』の宣伝には黒沢清の絶賛評がのっているのを見て我が意を得たりと思った次第。また同時に、Transitだけでなく、多くの映画が「Stay or leave」で引き裂かれる物語であって、そこはまた濱口竜介ともどこかで共鳴する部分なのではないかと思う(確か濱口竜介がどこかで発表したベストテンに水を抱く女が入っていた)。

 

それにしても、彼の作品はいずれもBarbara, Phenix, Transit, Undineとスパッと一単語で決められているのに、『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』『未来を乗り換えた男』『水を抱く女』とことごとくクドい邦題がつけられてしまうのが残念でならない。

 

さて、The State I am inは2000年の作品で、雰囲気的には数年後の『Jerichow』などと近い。(具体的には明かされぬが)何かのテロ事件を起こした夫婦に連れられる娘の逃避行が主体で、物語はほとんどシドニー・ルメットの『旅立ちのとき』である(あれも忘れ難い名作・・・)。同じドイツ映画としては、フォン・トロッタの『第二の目覚め』とも似ている。

父親が買ってくる服がどれもダサいのに苛立つ娘が、CDや服を万引きしたり、ちょっと年上の女性の音楽や服に興味を持つのだが、彼女がCDを取ってそのまま逃げるシーンで酒瓶を落として割ってしまうというエピソードがうまく撮れている。また、両親がわりと旺盛な性生活を送っていて、二人の喘ぎ声に悩まされるというのも笑わせる。両親が金の交渉をしている間、音楽に誘われて2階の部屋を訪れる場面では、部屋の鏡を使ったうまい演出がなされている。また、ビザなし滞在者と思われる人々が警察に一斉検挙される様を後ろに見ながら車で去っていく一家の描写も優れている。ということで、どのシーンも非常によく設計されていて、危なげない佳作という感じ。そのなかでも、三人の乗った車が謎の組織の車に囲まれて、観念するように両手をあげたとたん、信号が変わって車が去っていってしまう、というシーンが突出した印象をもたらす。車が去ったあとのガランとした道路の風景は、それこそ黒沢清的と言いたくなるが、『叫』のような思わず震えるような恐ろしさはないか。ペッツォルトはこれ以降スタイルがさらに成熟していくのだが、黒沢的な無人のコンクリートに覆われた寒々しい風景とは違い、より甘美でロマンチックな雰囲気が流れるようになり、それはTransitで頂点に達するだろう。

 

★★★★★★★★☆☆☆