アメリカ在住MD PhDの映画日記

映画を見る合間に膠原病の研究をしています

21世紀の映画 個人的ベスト20

バッと思いつくものを。あとあんまり覚えてないのは除外(ミスティック・リバーとか)。決して上から順というわけでもなく。

 

エルミタージュ幻想

未来を乗り換えた男

4ヶ月、3週と2日

ガザの美容室

失われた肌

石の微笑

ある秘密

若き警官

アイダよ、何処へ?

La Chimera (『墓泥棒と失われた女神』)

愛する人に伝える言葉

カティンの森

アララトの聖母

マイノリティ・リポート

サラエボの銃声

心と体と

ビューティーインサイド

ザ・スクエア 思いやりの聖域

ヒアアフター

チェンジリング

La Chimera 墓泥棒と失われた女神@ The Little Theater

監督:アリーチェ・ロルヴァルケル

出演:ジョシュ・オコナー、アルバ・ロルヴァルケル、イザベラ・ロッセリーニ、キャロル・デュアルテ、ルー・ロイ・リコルネ

撮影:エレーヌ・ルヴァール

 

『幸福なラザロ』のアリーチェ・ロルヴァルケル、待望の新作。昨年のカンヌで上映されて無冠に終わっていたのだが、パルムドール受賞作などとは比較にもならないほど素晴らしい。撮影は前作に引き続きエレーヌ・ルヴァールがフィルムで撮っていて、冒頭の列車のシーンからして極めて美しい。ゆったりとしたパンとトラベリングでフォローしていくスタイルで、時々すごくインパクトのあるクローズアップもある(船のシーンでのアルバ・ロルヴァルケルのショットなど)。

ジョシュ・オコナー演じる主人公がちょっと軟弱な感じで、周囲の人間に振り回されるようにして自然に物語が四方八方へと流れていく。墓掘りの仲間達、アンティークバイヤーの友達を自称するメロディーという名の女性、元恋人の母親とそこに居候するイタリアという名の女性、時折挿入される映像に出てくる元恋人など、これほどヴァラエティ豊かな登場人物を目にする映画も今時珍しい。個々のストーリーの説話的なつながりは非常に緩いが、墓、遺品、廃墟、幽霊といったテーマでつながっていると言えるだろう。一番重要な墓掘りのエピソードでは、光が入った途端に色褪せていく壁画の描写が挿入され、「They are not made for human eyes」というセリフとともに、遺品を掘り返すという人間の業を鋭く捉え、中盤のクライマックスともいえる海のシーンではまるで『水を抱く女』のラストショットのごとく、静かに海へと沈んでいく「視線」が強調され、過去の映像の挿入とともに、イタリア的陽気さのなかに「死」の匂いが濃厚に立ち上ってくる。ラストショットの必然性には感動した。

 

上述したような美しい撮影を基調としながら(夜の海辺の撮影が大変美しい)、サイレント風のジャンプカットを入れたり、EDM風の音楽でリズムをつくったり、カメラが上下に反転するキャッチーなショットを入れたり、シリアスと見せかけて突然ふざけはじめたりと、なかなかケレン味もある作品なのだが、一方で突発的なアクションにより緊張が走る演出もあり(冒頭の列車でのシーン、イザベラ・ロッセリーニが実の娘に水をかけるショット、彫刻をめぐるアッと驚くアクションなど)、物語と演出いずれもがヴァラエティに富んでいる。

 

もっとも感動的なのが、イタリアという名の女性との最初の出会いでは、イタリアが(なぜか)椅子をぶっ壊してるのに対して、再会する場面で彼女は椅子を作っているのだ。

 

 

★★★★★★★★★☆

 

The State I am in

監督:クリスチャン・ペッツォルト

 

これは配信で見たのだが、自分にとってペッツォルトは現代映画のヒーローなので、記録しておく。

ペッツォルトを初めて見たのは、『未来を乗り換えた男』(Transit)の劇場公開時。実は初見は全然乗れず、ナレーションが多過ぎると思いながら見ていたのだが、終盤に船に乗るか乗らぬかのサスペンスが始まり、最終的に幽霊談のような恐ろしい幕切れとともにトーキングヘッズのRoad to nowhereがかかるという怒涛の展開に接し、何か色々と見逃しているのではないかと思って、翌日にもう一度見たところ、もう全ての画面が素晴らしいという手のひら返しをするハメになったという思い出深い経験がある。生と死が隣り合ったスリリングな手触りは黒沢清のそれとよく似ていると思ったのだが、実際にその後、『スパイの妻』の宣伝にはペッツォルトの賛辞がのり、『水を抱く女』の宣伝には黒沢清の絶賛評がのっているのを見て我が意を得たりと思った次第。また同時に、Transitだけでなく、多くの映画が「Stay or leave」で引き裂かれる物語であって、そこはまた濱口竜介ともどこかで共鳴する部分なのではないかと思う(確か濱口竜介がどこかで発表したベストテンに水を抱く女が入っていた)。

 

それにしても、彼の作品はいずれもBarbara, Phenix, Transit, Undineとスパッと一単語で決められているのに、『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』『未来を乗り換えた男』『水を抱く女』とことごとくクドい邦題がつけられてしまうのが残念でならない。

 

さて、The State I am inは2000年の作品で、雰囲気的には数年後の『Jerichow』などと近い。(具体的には明かされぬが)何かのテロ事件を起こした夫婦に連れられる娘の逃避行が主体で、物語はほとんどシドニー・ルメットの『旅立ちのとき』である(あれも忘れ難い名作・・・)。同じドイツ映画としては、フォン・トロッタの『第二の目覚め』とも似ている。

父親が買ってくる服がどれもダサいのに苛立つ娘が、CDや服を万引きしたり、ちょっと年上の女性の音楽や服に興味を持つのだが、彼女がCDを取ってそのまま逃げるシーンで酒瓶を落として割ってしまうというエピソードがうまく撮れている。また、両親がわりと旺盛な性生活を送っていて、二人の喘ぎ声に悩まされるというのも笑わせる。両親が金の交渉をしている間、音楽に誘われて2階の部屋を訪れる場面では、部屋の鏡を使ったうまい演出がなされている。また、ビザなし滞在者と思われる人々が警察に一斉検挙される様を後ろに見ながら車で去っていく一家の描写も優れている。ということで、どのシーンも非常によく設計されていて、危なげない佳作という感じ。そのなかでも、三人の乗った車が謎の組織の車に囲まれて、観念するように両手をあげたとたん、信号が変わって車が去っていってしまう、というシーンが突出した印象をもたらす。車が去ったあとのガランとした道路の風景は、それこそ黒沢清的と言いたくなるが、『叫』のような思わず震えるような恐ろしさはないか。ペッツォルトはこれ以降スタイルがさらに成熟していくのだが、黒沢的な無人のコンクリートに覆われた寒々しい風景とは違い、より甘美でロマンチックな雰囲気が流れるようになり、それはTransitで頂点に達するだろう。

 

★★★★★★★★☆☆☆

 

 

 

バルカン超特急 The Lady Vanishes @ Dryden Theater

監督:アルフレッド・ヒッチコック

マーガレット・ロックウッド、マイケル・レッドグレーブ、メイ・ウィッティ

製作 1937年

 

かなり前に見た記憶があったのだが、内容としてはクルッと回るからくりボックス以外何も覚えていなくて、またあんまり楽しめなかったような記憶があり、しばらく敬遠していたのだが、35mmフィルムでの上映とのことで見に行った。

ヒッチコックのイギリス時代は、『三十九夜』が最高傑作という感じで、このバルカン超特急もよく双璧と評価されていたが、今回見て確かに相当な傑作であることがわかった。ついでに言うと、若い時に見ても楽しめんだろうと妙に納得した。

とにかくショットの運びがうまい。『三十九夜』や『見知らぬ乗客』、そしてカラー時代の黄金期の作品群は、まずもって脚本が出来すぎており、かつその旨味をあっと驚く視覚的芸当でもって描くので、とてもキャッチーだし、特に集中せずとも楽しめてしまう。しかしこの『バルカン超特急』については、お話自体はだいぶ色褪せたミステリーで、終盤の客室移動のアクロバティックなアクションをのぞけば、それほどキャッチーな見せ場があるわけでもない。むしろ、客室内での会話、視線の演出、音の演出、煙、ドアの開閉といった細部の演出が類を見ない完成を見せている。前半のホテルのシーンで、メイ・ウィッティ演じるおばあさんが、路上の演奏家に向けて小銭を落とす場面の何たる見事な演出。

それにしても、「気の良いイギリスのおばあちゃん」というのは一つの立派なジャンルだね。メイ・ウィッティが再び現れたときの安堵感たるや(笑)

それから、終盤にメイ・ウィッティが逃げる場面があるけれども、あれも見事なもんで、ああやってロングショット一つで処理すれば、余計な演出せずとも観客は思わず息をのむんだよね。映画っていいですね。

 

Love Lies Bleeding @ The Little Theater

監督:ローズ・グラス

クリスティン・スチュアート、ケイティ・オブライエン、エド・ハリス

A24製作ということで不安の方が大きかったのだが、これは面白い。ローズ・グラス、なかなか面白い人が出てきた。アメリカの郊外を舞台に、クリスティン・スチュアート演じるジムのスタッフと、ベガスのボディ・ビルダーのコンテストに出ようとするケイティ・オブライエンのクィアで逸脱した恋愛関係を軸にしつつ、露悪的なバイオレンスストーリーにだんだん推移していく。当初うっすらあった倫理が中盤以降気持ちよく放棄され、ひたすら暴走するオブライエンと、後始末をさせられるスチュアートの対比が笑える。『チタン』の前半に近い雰囲気があるかもしれないが、リアクションにまわるスチュアートがさすがのパフォーマンスだと言って良い。

撮影もなかなか快調で、ニューメキシコの夜空は文句なしに美しいし、スチュアートが勤務するジムの荒廃した雰囲気も抜群だ。また、何度かある俯瞰ショットで闇夜を走行する車を捉えたショットも良い。うるさいだけのカット割りや、奇をてらったようなアングルショットもなく、切り返しも冴えていて、例えばオブライエンが頭突きをかましてくる(わけのわからない)場面を、真正面の切り返しで撮っている。最後の最後に完全にアホに振り切るのが受け入れられるのも、こうした基本的なショット構成がしっかりしているからだろう。ゲロ、血飛沫、猫、などの小ネタの扱いも視覚的に面白い。

ただ、なぜか104分という時間が妙に長いというか、少し疲れる。おそらくはカンフル剤中毒の描写が少々過剰な点に起因するか。

 

★★★★★★★☆☆☆

 

 

 

オッペンハイマー @ The Little Theater

これは正直、NHKスペシャルで良いんじゃないかと思ってしまった(暴論)。

クリストファー・ノーランという人の映画は、ダークナイトライジングで追うのをやめてしまったのだが、とにかく企画力と統率力において映画史に残る才人だと思う。バットマンをシリアスな社会派映画として撮ること、物語の階層や時間の階層をまるごと映像化しようとすること、と思いきや重要な歴史を映画化すること。こういうのをいちいち実現するのには恐れ入る。

しかし久しぶりに見ても、相変わらず締まりのないショットがひたすら続くなぁという印象ばかりが残る。室内空間の設定が適当すぎて必然性がなく、性急なカッティングで語られる会話劇はただひたすら疲れる。今回はここに、白黒とカラーの時制を交錯させるオシャレな編集をしているのだが、『J・エドガー』あたりと比べてみれば、その陳腐さがすぐにわかるだろう。

しかし俳優陣がなかなか豪華で、ジョシュ・ハートネットが知らぬ間に良いおっちゃんになっていたり、友情出演みたいなケネス・ブラナーが最もダンディで素敵だったり、フローレンス・ピューが素晴らしい存在感を発揮していたり、逆に助演男優賞がなんでこいつ?と思ったりした。助演女優賞エミリー・ブラントの方がノミネートされていたが、何の印象にも残らない。『フェラーリ』のペネロペ・クルスの方が5,000倍卓越している。

 

ちなみに、映画におけるオッペンハイマーの「反省」は、広島・長崎の悲惨よりは、その後の冷戦、軍拡競争に向けられているように見えた(最後のI believe I didというセリフと、地球を炎が覆い尽くすCGも、そういう解釈の方がしやすいように思われる)。日本はその後、アメリカの核の傘のもとで奇跡の経済成長を遂げ、原発をせっせと輸入し、今に至る。

 

★★★★☆☆☆☆☆☆