製作 2023年 アメリカ
監督:セリーヌ・ソン
昨年公開の映画のなかでもかなり高い評価を得て、監督デビュー作品ながらアカデミー賞にもノミネートされた評判の作品。
24年前に生き別れた小学校のクラスメイト同士が、12年後にフェイスブックで再会したあと、また距離ができて、そのまた12年後にようやくアメリカで再会するという話。
最初の再会シーンでは、スカイプで久しぶりに会った二人がちょっと照れくさそうに話し、だんだん距離が深まって定期的にスカイプするようになるのをダイジェスト的に見せていくのだが、この「照れくさそうなスカイプのやりとり」が、映画とはほど遠い単なる「あるある」描写になっていて微妙であるし、その後のダイジェスト版みたいな処理もほとんどヤケクソのような編集になっていて、あまりこういうものを過大評価しない方が良いのではないかと思った。ヤケクソ編集になっているのは、この映画が、24年後の現在のパートを、いかに感動的でほろ苦いシーンにするか、というところに全集中して作られたからだろう。そういう戦略的ないやらしさをひとまず横に置けば、確かに現在のパートにおいては、いくらか撮影も良く、移動撮影も最低限の慎ましさになっている。
とはいえ、この映画に対する不満は変わらない。私のこの映画に対する不満は、『ラ・ラ・ランド』に対する不満に近い。『ラ・ラ・ランド』は、愛し合う二人が、それぞれの譲れぬ人生の目標ゆえに、一緒になれない悲しさを描いた映画であったが、エマ・ストーンの役者像というか、彼女の価値体型が一向に見えてこないために、内実のない映画になっていた。彼女が一人芝居を上演するシーンは、残念ながら終幕の拍手の場面だけで処理されてしまう。だからエマ・ストーンはいつまで立っても「女優になりたい人」という記号でしかなく、立体的なキャラクタリゼーションからは程遠いものであった。
『パスト・ライブス』もまた、女性側が作家になるという夢のためにアメリカで生活するがゆえ、二人は一緒になれないという筋立てなのだが、ここでもまた、この女性の作家像が一切描かれないのだ。時々仕事っぽいことをしている描写はあるのだが、何をやっているのか全くわからない。だから結局、彼女が何に価値を置いていて、何に魅せられている人物なのか一切わからないまま、ただ「作家志望の女性」としてのみ表象されてしまうのだ。
おそらくは「たどたどしい会話」を演出する意味で行われているであろう二人の会話の中身も、こうした文脈では作劇不足の空虚な台詞という印象を免れない。いや、せめて作家の夫とのやりとりのなかで、そうした部分を浮き上がらせてくれれば、対照的に表面的な会話で終わってしまう二人の物悲しさも際立たせられたかもしれないのだが。。