アメリカ在住MD PhDの映画日記

映画を見る合間に膠原病の研究をしています

燃ゆる女の肖像 @ Dryden Theater

監督:セリーヌ・シアマ

アデル・エアネル、ノエミ・メルラン、ルアナ・バイラミ

 

ここ数年、フランスの(特に女性)監督の活躍がかつてないほど目覚ましい。本作がいわゆるクィア映画の聖典になっていることからもセリーヌ・シアマがその代表格ということになるのだろうが、例えばカトリーヌ・ドヌーヴとのタッグで傑作を連発しているエマニュエル・ベルコ、『ファイブ・デビルズ』が記憶に新しいレア・ミシウス(天才!)、『サン・トメール』のアリス・ディオープ、また中堅クラスではミア=ハンセン・ラブ、カトリーヌ・コルシニなども挙げておきたい。みなそれぞれの作風を持ってはいるが、特にミシウス、ベルコらの作品にみられるオリジナリティ、身体性には度肝を抜かれる。シアマ、ミシウスも交えた共同脚本をオディアールが監督した『パリ、13区』の圧倒的素晴らしさを見れば、この世代の勢いがよくわかるだろう。未公開作品では、MUBIで見たセリーヌ・ドゥボア『Everybody loves Jeanne』が大変素晴らしかった。

 

この映画も大変よくできている。冒頭から、海へダイブ→濡れた服を乾かすといった流れ、緑色のドレスのアップカットから引いて「お前かい!」となるショットの遊び心などもいいが、やはりタイトルロールであるエロイーズ=アデル・エアネルが出てきてから、画面がさらに活気づく。太々しさすら感じる目力を持つ彼女は、レア・セドゥ以来の「この人は存在感が違う」と思わせる久方ぶりのフランス女優ではないか(と思ったら、IMDBでこの作品以降の情報がなく、セザール賞以降の近況が気になるところ 追記:映画界を引退していた)。

中盤は二人の女性の視線のドラマであるが、徹底して内側からの切り返しを志向しており、実に美しいミドルショットが連発される。視線の交錯やすれ違いだけでなく、一方の視線だけを撮る(よって交錯してるのかすれ違っているのかわからない)というような演出も時折かいまみられ、いずれにしろショットの流れにゆったりと身を任せることができる稀有な作品だ。エロイーズが海に泳ぎに行く場面の大胆な省略も巧い。

あとは、使用人のソフィーが中盤以降ドラマの盛り上げ役となる構成もよくできていて、三人でエウリディケの神話について議論する場面なども大変充実している。

 

少し弱いと思う点を書いてみる。例えば序盤は、マリアンヌが自身が画家であることを隠しているため、絵の具で汚れた手を隠したり、カーテンでキャンバスを隠したりといったことをしているのだが、自身の正体を明かしてからはこうした視覚的細部が全く活かされず、画面としてのサスペンスが不足している(つまり、物語上のサスペンスとしての機能しかない)。視線、振り返りなどの非常に基本的な演出ツール「だけ」で行こうという意志の現れなのかもしれぬが、こうした視線劇ばかりがあまりにクローズアップされすぎて、細部の贅沢さに欠け、見惚れるけどそれほどワクワクしない、というのが全体的な印象だ。マリアンヌの役柄もちょっと生真面目すぎるか。

ラストショットは想定内、というか、こういうラストショットが最近流行りだよな。あの絵画を見つめるショットで終わってもよかったと思う。

 

★★★★★★★☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリアンとジュリアン(鉛の時代) @MUBI

監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ

バルバラ・スコヴァ、ユッタ・ランプ、ルドガー・フォークラー

 

今回は配信で見たやつだが、面白かったので記録。

ニュージャーマンシネマといえばヴェンダースファスビンダーヘルツォークしか知らないというレベルの人間なので、フォン・トロッタ監督など存在も知らなかった。ハンナ・アーレントを撮った人なのか。

過激左翼の姉と、穏健左翼で雑誌編集や街頭で中絶の権利を訴えるなどの活動をする妹を主役に据えたドラマ。爆弾テロ容疑で捕まった姉との接見シーンが作品の中盤で何度も反復され、その一つひとつが大変充実している。接見室とか、取り調べ室とか、狭い空間での緊張感ある対峙を描いた映画は良い(ミレールの『検察官』とかブガイスキ『尋問』とか)。面白いのが、幼少時代の回想では妹の方が反抗的で行動的なのが、現代のパートでは姉の方が過激なのだ。

この映画のスマートさは、大きな出来事(テロ、逮捕、死、、)が起きているにも関わらず、それらの直接的な描写を周到に避け、時間の感覚を大いに揺さぶりながら、地味な描写を積み重ねていく点だろう。自宅で人形の首吊りを再現しているシーンの不気味なこと!(しかもこの一連のシークエンスはその後物語上は何の意味も持たない。)

『夜と霧』を引用し、ナチズムと戦後ドイツに断絶を認めぬ姿勢が現れている。

ベルイマンがお気に入りに上げていたというが、それも確かにわかる気がする。

★★★★★★★★★☆

テルマ&ルイーズ @ Dryden Theater

監督:リドリー・スコット

ジーナ・デイヴィススーザン・サランドン

製作年: 1991年

本日は、国際女性デー(International Women's Day)ということで、大学内でも色々メーリスがまわっていたのだが、Dryden Theaterでもそれにちなんだ映画を上映するという企画。

上映前にキュレーターから前情報についての話によれば、脚本を書いたCallie Khouriは80年代にLAのMTV業界に入ったものの、業界の女性の扱い、ステレオタイプに心底失望しており(sexual harrasmentという言葉もあまり広まっていなかったとのこと)、なんとかしたいと考えていた。そんな矢先、この映画の元となった事件を知ったKhouriは、これをもとに脚本を書くことを決意する。完成した脚本が知人の計らいでリドリー・スコットの手にわたり、これを気に入ったスコット監督がプロデュースに名乗り出て、監督まで引き受けたということのようだ。フェミニズムの流れとしては、この映画の公開直後にアニタヒルによる、クラレンス・トーマス判事からセクハラを受けたという告発があったりと色々進展があった時代らしい。
(あまり体系だった歴史認識を持っていないのだが)確かに90年代前半というのは、女性映画の傑作が誕生した時代で、『羊たちの沈黙』はもちろんのこと、『ブルー・スチール』や『告発の行方』も思い出される。また、91年に開始したイギリスのドラマシリーズ『プライム・サスペクト』もフェミニズム的精神に溢れた骨太なクライム・ドラマに仕上がっている。

 

ということで、いつになく来場者が多く、上記のキュレーションにより全体的にかなり盛り上がった雰囲気のなか上映が始まり、上映中も主演二人がクズ男を懲らしめるたびに拍手喝采であった。ジャック・ランシエールなどの著作にあるように、芸術が観客に行動(変容)を促すべきなのか、そうではなく認識をズラすべきなのかという構図で考えると、今日は完全に前者の雰囲気であったとだけ言っておこう。

 

さて、何を隠そう、実は初見であり、一応見ておかなきゃという義務感にかられて足を運んだ次第なのだが、うむ、これは確かに立派な名作だ。荒野を車が走ってれば映画になる、という感慨がある。終盤は『パーフェクトワールド』みたいだ。そしてこのラストは胸を打つ。

 

 

 

 

 

 

 

May December @ The Little Theater

監督:トッド・ヘインズ

ジュリアン・ムーアナタリー・ポートマン

やっぱり映画というのは、何の予備知識もなく見るのが一番である。冒頭から、いったい何の映画なんだ?と思わされ、だんだんと話のネタがわかってくる、という映画の「語り」を堪能できる。一切の回想を禁じ、セリフの断片的な情報から少しずつ「過去」の輪郭が浮かび上がっていき、観客は過去を「取材」するナタリー・ポートマンの内的経験を追体験することになる。そしてその追体験さえも一捻りある。
当時何があったかという「ミステリー」よりも、当時の話をどう受け止めるのかという「サスペンス」に演出の力点を置くことで、たったこれだけの「ネタ」で極めてスリリングな空気を醸成するトッド・ヘインズの圧倒的力量には文句のつけようがない。さらに終盤にかけて、次第にジュリアン・ムーアからチャールズ・メルトンの方へとフォーカスがシフトしていく、この絶妙なバランスも見事だ(虫を使ったメタファーが後半で効いてくる)。

一番お気に入りのシーンは、服屋で娘がドレスを試着するシーンだ。これも見てのお楽しみだが、鏡とカーテンを使った素晴らしい(そして笑える)シーンになっている。

海面で日光が乱反射する感じとか、全体的に90年代初期のアメリカ映画っぽい画調で、これもなかなか新鮮だった。喫茶店やレストランでの撮影がいちいち美しい。
クレジットに音楽:ミシェル・ルグランと出てきて驚いたが、ルグランの過去作品をアレンジしたものらしい。Wikipediaによればジョセフ・ロージーの『恋』の音楽が元ネタらしい。なるほど、これもまた「禁断の愛」を描いた傑作であった。

役者も素晴らしい。ナタリー・ポートマンも熟練の腕前だが(学生の質問に答える場面が素晴らしい)、ジュリアン・ムーアが相変わらず良い。この人は「素敵だけど危なっかしい」女性をやらせたらピカイチで、個人的にはアトム・エゴヤンの『クロエ』以来の好演(ちょっと似た役柄だしね)。

ということで、文句のつけようがないのだが、ちょっと隙が無さすぎるというか、内容の下世話さとスタイルの洗練ぶりのギャップがちょっと怖い。カッコつけやがって!とどっかで小突きたくなる映画ではある笑(というこちらの捻くれを見透かしているかのようなふざけたラストショットである!) 

Netflix配給だが、この贅沢な撮影は大スクリーンで見られたい。

★★★★★★★★☆☆

 

 

不良少女モニカ Summer with Monika @ Dryden Theater

監督:イングマール・ベルイマン

ハリエット・アンデルセン

言わずと知れたベルイマン初期の傑作。約10年前、大学を卒業した春にベルイマン映画をDVDでひたすら見ていたので、そのとき以来の鑑賞。

ところで今回はちょっと不思議なことが起きた。Dryden Theaterは、ジョージ・イーストマン博物館が運営しているので、アメリカでも有数のフィルム所蔵数を誇っている。本作もフィルム上映だったのだが、これがアメリカで当時公開されたフィルムで、すごい肝心なところがオリジナルと違っていた。というのも、この映画が超有名な理由は2つで、一つは船の上で寝そべるハリエット・アンデルセンの官能的なショット、そしてもう一つがハリエット・アンデルセンがタバコを吸いながら突然カメラ目線になるショットだ。なんと今回のフィルムでは、このカメラ目線ショットが、いきなりオープニングに挿入されて、彼女のカメラ目線とともにタイトルが入るのだ。終映後に解説員の人が「これはひどい、、、」と言っていたが、本当にひどい(笑) 曰く、この映画はアメリカでは、いわゆるエクスプロイテーション映画的な位置付けで公開され、上映時間も60分ぐらいに切り詰められたそうだ。しかもスウェーデン映画というのはエロいことで有名だったらしく、奇才ベルイマンというよりは、スウェーデンのエロ映画として公開されたらしい。このアメリカ上映バージョン(といっても尺はもとの96分だった)では、タイトルが『Summer with Monika  A story of a bad girl』となっており、放題の『不良少女』はここからきていたのか、と納得。

 

ということで、一番大事なシーンの感動がお預けになってしまったものの、しかしやっぱりこの映画は面白い。内地→島→内地、という構成になっていて、島はかなり明るい、束の間の天国という感じで撮られていたように記憶していたが、いやいや結構島のシーンも暗く、緊張感がある。撮影自体は、内地でのシーンがかなり計算されたシークエンスショットが中心で、これも面白いが、やっぱり島でのロケーション撮影の奔放さがこの時代ならではだと思う。アントニオーニの『情事』もそうだが、海の近くで男女がはしゃいでいれば、それだけで映画になっちゃうのだ。

モニカが肉を奪って逃げるシーンが素晴らしい。この草むらを猛ダッシュで駆ける場面は、黒澤より迫力がある。

 

 

 

 

 

ドライブアウェイ・ドールズ @ The Little Theater

監督:イーサン・コーエン

脚本:イーサン・コーエン/ トリシア・クーク

出演:マーガレット・クオーリー、ジェラルディン・ヴィスワナサン

 

ジョエルとイーサンのコーエン兄弟は、これまでずっと共同で映画を撮ってきたが、最近別々に活動するようになったらしい。ジョエルの方は『マクベス』をデンゼル・ワシントン主演で最近撮ったが、本作はイーサンの方が監督。共同脚本のトリシア・クークという人は、兄弟の作品で編集を長年務めていた人で、この二人はいま夫婦なのだが、トリシア・クークはレズビアンを公言していて、お互いに別々のパートナーがいるらしい。

というのを、本作を見終わってから軽く調べて初めて知ったのだが、というのもコーエン兄弟の作品はここのところ全然追えてなく、最後に見たのが『トゥルー・グリット』である。。なぜ見なくなったのか自分でもよくわからないのだが、何となく興味がなくなっていったという気がする。しかし『ファーゴ』や『ノーカントリー』は好きだし、『トゥルー・グリット』も良いシーンがいっぱいあり、何よりエンディングで流れたLeaning on the everlasting armsの美しさが忘れ難い。にもかかわらず、本当に久しぶりの鑑賞になってしまった(ファーゴのドラマ版にも関わっているのか)。

で、本作は若きレズビアンの二人(カップルではない!学生でもない!)がレンタカーでフロリダに向かうのだが、レンタルした車にやばいものが入っていて、、、という超ありがちなB級ロードムービーである。二人を追う組織の男二人組が非常にドジで、『ファーゴ』のストーメア、ブシェミのコンビを彷彿とさせるのだが、全体的に『ファーゴ』を思いっっきりバカに振り切った作品という感じである。そしてなかなか面白いじゃないか!

まずもって、同じレズビアンでも、奔放な方とおとなしい方という対照的な役柄を演じた主演二人の活躍が良い。特にマーガレット・クオーリーの、鼻にかかったような声でマシンガントークを繰り広げる様は、キャサリン・ヘップバーンを思わせる(と言ったら言い過ぎか)。

そして、やっぱりコーエン。ちゃんと一つ一つのシーンに気の利いた演出がある。時にその演出がこれ見よがしで鼻白むということも過去作品にはあったが、本作は全体的に軽いトーンであり、要所要所に視覚的な工夫が用意されていて、正しく”アメリカ映画”だと思った。

具体的に言えば、懐中電灯の見せ方、ビル・キャンプが投げる書類がそのまま落ちるのを撮ったショット、宙に放られて地面に落ちたケースから◯◯がコロコロ転がってそれを犬が追いかけるというオチなど、物と人の相互作用によって画面を活性化するという基本中の基本をちゃんとやってくれている。

たった80分。これも素晴らしい。

★★★★★★★★☆☆

 

 

 

Perfect Days @ The Little Theater

監督:ヴィム・ヴェンダース

役所広司麻生祐未、中野有紗

 

公開初日にせっせと駆けつけてしまった。

冒頭。落ち葉掃きの音で目が覚め、植物に水をやる霧吹きの音がそれと共鳴し、玄関の鍵と小銭を拾い上げる音が響き、扉を開けると外の音がいっそう聞こえてくる、という一連の流れ(その後何度も繰り返される)における音響が素晴らしい。だんだんと世界が広がっていくような早朝の感じ。

トイレ清掃の仕事をしながら暮らす無口なおじさんの日常を繰り返しながら、断片的なサイドストーリーを順番に綴っていく映画で、柄本時生演じる同僚とその恋人の話、家出してきた中野有紗演じる姪とのエピソードとその顛末で出てくる主人公の姉、石川さゆり三浦友和のエピソード(石川さゆりは生歌を披露する)が大まかな挿話となっている。エピソードごとの出来の差が激しいとは思う。柄本時生のオーバーな演技は見ていてキツかったのだが、家出してきた姪を演じる中野有紗が実に落ち着いた、それでいて軽やかさも失わぬ素晴らしいパフォーマンスで、おそらくヴェンダースとしても、このエピソードが上手くいけばそれで良しという感じだったのではないだろうか。小津アングルのショットもこのエピソードで登場するし(今度は今度、のくだりもわかりやすい小津オマージュ)、何より二人が同一画面におさまったときのフィット感は突出している。役所が彼女をカメラで撮るシーンがあるが、(それまでは撮った写真が画面として提示されていたのに対して)写真を見せずに淡々と処理するあたりも良いと思う。

そして、中野と母(役所の姉)として麻生祐未が迎えに来るシーン。なんか麻生祐未は金持ち設定らしく、用心棒みたいなスキンヘッドが黒塗りの車で運転してくるあたり、なんか韓国の安いラブコメ、あるいはテレビ朝日の深夜のくだらないドラマみたいなのだが、それを脇に置けばこのシークエンスはまったく見事で、まさに巨匠ヴィム・ヴェンダースの本領発揮だと思う。それは要するに、三人をどのように配置し、どのタイミングで誰をどう動かし、それをどう撮るか、という一連の演出の的確さのことである。

どこまでがヴェンダースの脚本で、どこまでが高崎某の脚本なのかはわからぬし、企画自体の「気味の悪さ」は拭い難いが、上述のような、これは間違いなくヴェンダースだろうと思える美しいシーンが見れた、ということでとりあえず満足である。

初日なので結構人は入っていたが、上映後はみなさん黙り込んでいて解釈に困っているようであった。

ところで、この映画の企画をめぐっては、プロパガンダの匂いがしていて素直に受け止め難い状況になっているが、やっていることはスコリモフスキの『EO』やその元ネタの『バルタザールどこへ行く』に近いのではないだろうか。EOやバルタザールはロバではあるけれども、粗く要約すればロバという異質の動物を中心におくことで、その周辺にいる人間達の愚かさを強調するような映画である。Perfect Daysの平山も、要するにロバのような存在なのだ。トイレ掃除中にずけずけと入ってくる利用者、迷子の子供を見つけても御礼一つ言わぬ母親などが、平山の目を通して提示されていると言って良い。(とはいえ、平山はロバではなく人間なので、シフトがきつくなれば文句も言うのだが。)

 

★★★★★★☆☆☆☆