監督: スティーブン・スピルバーグ
脚本:トム・ストッパード
意図したものかわからないが、日本兵に見つかって殴られる場面でようやくそれがジョン・マルコヴィッチだとわかる、というのが面白い。マルコヴィッチの存在感というのは大変なもので、ベンシーがマルコヴィッチでなかったら、収容所の場面などはかなり退屈なものになってたのではないだろうかと思う。収容所については、別にこれといって悪いシーンがあるわけでもなく、『シンドラーのリスト』よろしく断片的なエピソードが積み重ねられていく形式をとっているのだが、いかんせん空間設計に難があるためか、どのシーンもまぁまぁという感じで終わってしまう。マルコヴィッチが伊武雅刀にボコボコに殴られて、診療所送りになったあと、クリスチャン・ベイルが双眼鏡で診療所の様子をのぞくと、半透明のシーツをかぶせられたマルコヴィッチの横顔が美しく切り取られる。死んだのかと思う。だが次の場面ではクリスチャン・ベイルは診療所にいて、マルコヴィッチと話している。その後の単調な切り返しによる二人の会話もあまりうまく行っていない。そして次のシーンではマルコヴィッチがフラフラと帰ってきて、一連のシークエンスが終わる。診療所の外観は美しいのに、そこを行き来したり、視線が交錯したりといった映画的な演出が決定的に不足している。
それにしても、アメリカの空軍が颯爽と現れて、すべてを破壊していく様子にはメディア論的な意味での圧倒的な力があり、わかっていても感情を動かされてしまう。戦後秩序はこうしたイメージによって支えられてもいたのだろう。米軍によって解放された人々が南方へと歩いていき、アンティークや家具で埋め尽くされた広場にやってくる場面がある。一夜明けての場面も含めて、ここは戦争映画としても最もユニークな場面だと思うが、しかしそれに見合う画面の力を伴っているとは言い難い。もっと幻想的に、シュールに見せることができたようにも思う。
私はどちらかと言えば、前半部の方が映画として良くできていたと思う。
無人の家に残された足跡や手の跡が、風によって消えていくイメージ(これは映画そのものの隠喩ではないか)。エキストラを大量動員したモブシーンの迫力、動線の設計。車の窓に付着する血。スピルバーグらしい路地裏の追走劇。このあたりは、世代的には『宇宙戦争』、『マイノリティ・リポート』を思い出さずにはいられない。日本軍がライトの点滅で合図を送るのに対して、ホテルの窓から懐中電灯を点滅させるシーンがもっとも美しい。騒乱直前の明け方の静けさ。