お目が高いって言われたい!〜アメリカ在住MD PhDの映画日記〜

映画を見る合間に膠原病の研究をしています

Maria @ The Little Theater

監督:パブロ・ラライン

出演:アンジェリーナ・ジョリー、アルバ・ロルヴァルケル(!)、ピエールフランチェスコ・ファヴィーノ、コディ・スミス・マカフィー

撮影:エドワード・ラックマン


(再見して一部修正)

ジャッキー、スペンサーに続いて、ララインの「20世紀の大物女性シリーズ」第三弾というような感じだが、オペラやクラシックの素養がない私にとっては、マリア・カラスといえば王女メディアである(本作でもメディアの舞台シーンが一部出てくる)。

というのは置いておいて、ララインはシリーズの合間にもこまめに映画を撮ってて、『エマ』という(謎)映画もあった。『スペンサー』は見逃しているが、ラライン映画のショットはすぐにわかるルックスを持っていて、今回も冒頭と最後に出てくる、被写界深度を大きくとって真ん中にカウチを据えた独特の構図、また劇場からプラタナスの並木道へと歩くアンジェリーナ・ジョリーを夕日をバックに捉えた移動ショットがわかりやすい(横向きからジャンプカットで縦向きに移動が変わるところがララインのテイストかもしれない。)。しかし、てっきり同じ撮影者とコンビを組んでいるのかと思ったら、毎回違う撮影監督のようで、今回はトッド・ヘインズの作品を手がけているエドワード・ラックマンで、撮影だけで言えば、今年公開された映画で最も美しいのではないかと思う。特にマリア・カラスが住むアパートの、ギリシアの(?)無数の石像が置かれた部屋、ステンドガラスが映えるキッチンなど、とにかく美しい。また、パブロ・ララインと言えば、手持ちでちょっと居心地悪い仰角クローズアップを多用してくるイメージもあり、今回もインタビューのシーンで使われているが、これはあんまり良いとは思えないのだが、この作品についていえば、リアリズムとフィクションの戯れにかなり自覚的な作りとなっており、こうした手持ちもスペクタクルとは違う機能を持たせているのかもしれない。虚構と現実、"マリア"と"カラス"、"豊かさ"と"貧しさ"の間を、まるで何度も部屋を横断させられるグランドピアノのごとく、映画は行き来してみせる。幻覚と現実の境が不明瞭になっているマリアが、現実を求めて相手の腕を掴むという所作が悲痛な感覚を起こさせる。最後の晩(かどうかはわからないが)のトランプに興じる3人の姿、そしてカラスの歌声に街の人々が立ち止まる光景など、終盤のイメージには涙を禁じ得ない。

これはマリア・カラスを深堀りするような人間ドラマではまったくなく、むしろカラスへ向けられるさまざまな視点が、その都度空間を奇妙に歪ませていくサスペンスだ。使用人の二人だけでなく、シアターの照明係、医師、通行人、レストランの給士、そして犬。彼らの視点がシーンに介入することで、空間が広がる。空っぽのシアターでの練習風景に、照明係の視点が加わる。テラス席での言い合いに、レストランの内部への想像が加わる。オナシスとカラスがパーティで出会うシーンでは、カラスの夫が二人に近寄るときにわざわざ夫の視線ショットで二人を撮っている。また、病室(なのかここは!?)でのカラスとオナシスの接見は、決して画面に現れぬオナシスの妻の存在によって打ち切られる。

しかし私が一番驚いたのは、医師がカラスに「もう声は戻らない」といったことを告げ、それに対しカラスが"Get out"と彼を退場させるシーンだ。普通、こういうシーンでは、出ていく医師とカラスを交互に切り返すか、あるいはカラスがじっと一点を見つめたままオフの音で医師が退場していくのを示すか、というのが常套である気がする。しかしこのシーンでは、医師が出ていく様をオフで処理しつつ、カラスは彼のあとを丹念に目で追いかけるのだ。しかしカメラは決して切り返さず、カラスの視線の先を見せない。だから、医師が去り際に彼女の方を見ているのか、それとも見ていないのかがわからない。こんなスリリングなショットはそうそうお目にかかれない。

そして何よりアンジェリーナ・ジョリーだ。かつてのように頻繁にお目にかかれない人になってしまったが(『モンタナの目撃者』以来か)、やっぱり素晴らしいとしか言いようがない。

使用人二人。家政婦のアルバ・ロルヴァルケルはアリーチェ・ロルヴァルケルの姉。ナンニ・モレッティの近作にも出ていて、姉妹ともに大活躍。もう一人のピエールフランチェスコ・ファヴィーノは、ベロッキオの『シチリアーノ』で主演をやってた人だ。ということで、キャスティングも見事。医師はてっきりケイシー・アフレックかと思ったが違った。

ラスト、カメラは一度もマリア・カラスに寄ることはないし、また使用人達もまったく彼女に触れようとしない。これは一つのステージということか。

それにしてもこのラストショットは、『すべてうまく行きますように』のソフィー・マルソーのラストショットのように、苦い後味を残す。

 

 

★★★★★★★★☆☆