監督:ヴィクトル・エリセ
めでたく、北米公開。金曜夜にこれを見にくる人間は私を含めて6名でした。
映画の撮影中に失踪した俳優をめぐる映画だが、主人公の映画監督ミゲル(俳優の古くからの親友でもあり、当時映画を撮影していた)もほぼ隠居みたいな状態で映画は作っていない。過去をめぐるミステリーというよりは、謎は謎として、いろんな人と思い出話をするのが前半部だ。アナ・トレント演じる失踪した俳優の娘のほか、編集者の旧友、ブエノスアイレスに住むかつての恋人、そして過去を掘り起こすニュースキャスターとの会話が多くをしめるが、この会話のシーンがいずれも良い。バストショットで始めながら、ときおり思いっきり顔に寄ったショットが挿入される。アナ・トレントの、父については顔よりも声を覚えている、という主旨の長い科白も彼女の美しいクローズアップだ。二人が会話を終え、立って挨拶をかわし、アナ・トレントが仕事場に去って行く。一人になったミゲルは、椅子に座り直し、机に置かれた写真をじっと見つめる。(アナは父の声が印象的だと言うのに、二人が再会する場面では父は声を発さない。)
元恋人ローラとのやり取りは、一段と明暗が強調された、暖炉脇での会話になっていて、最後にローラがピアノを弾いて歌う。この、ローラがソファから立ち上がってピアノの前に座り、弾く様子を捉えた一連のショットが何とも素晴らしい。
中盤でマドリッドから田舎に戻ってきたミゲルの生活描写を挟んだあと、後半の介護施設のパートへ。
視覚的細部の扱いについて思ったことを留めておこう。
雨がやたら降る。最初は倉庫から出てきたところで大雨。ミゲルが倉庫にあったコートを着るために、いったんショルダーバッグを脇に置くと、持ち手の部分がぴろんと垂れる。こんなのも良い。このコートが最後に出てくるので、ここでは雨が大きな役割を担っている。しかしほかのシーンはどうか。雨の日はやたら大雨だが、なんか犬が濡れてるとか、なんかみんな雨宿りしてるとか、それだけの機能にとどまっていることが多いのだ。これは、と思う細部や仕掛けが意外とフルには活用されないというか、腹八分ぐらいにしておく感じがある。
雨が降ると、脱いでた靴に水がたまって、翌朝にその雨水を地面に捨てる。その後も男は裸足で人生を過ごす。
終盤で映画館の床を赤い箒ではくシーンがあるけれども、ここでマックスが途中まではいてたのを、(なんでだか忘れたが)ミゲルに託して映画館をいったん去る。それでミゲルが床掃除の続きを行う。これも別にそれで終わりなのだが、この箒を手渡すというやり取りが何となく残る。
介護施設の空き部屋で宿泊しているミゲルが部屋でタバコを吸っていると、シスターがノックしてきて、慌てて灰皿を隠して窓を開ける。それでシスターが入ってくると、ちらっとミゲルの方を見て、何も言わずにもう片方の窓を開ける。これもこれで終わりなのだが、なんか良い。
古本屋で手にする自分の著作。あるいは、ゴミ箱に捨てられたテレビの台本は、もう一度取り出される。でも別にそれが何かの役に立つというわけではなく、それっきり。
だから決してスラップスティック的に小道具が多用されるわけではないのだけれど、それでもやっぱり各々シーンが、その意味を持たぬ記号によって、語られていること以上に、緩やかな時間としてそのまま立ち上がってくる感じがやっぱり映画だな、と思う。
それにしても、老齢の映画監督がかつての仲間と思い出話に興じるエピソードを見て、同じスペインの『ペイン・アンド・グローリー』を思い出さずにはいられない。白いペンキも。
と、しみじみと感じ入ったのだが、エンドロールでオープニングの彫像のディゾルブ処理が反復されるのは笑いました。なんすかこれw(オリヴェイラへの何か?)
★★★★★★★★☆☆