The Substance
監督:Coralie Fargeat (読めない)
出演:デミ・ムーア、デニス・クエイド、マーガレット・クオリー
楽しみはしたのだが、私が映画に求めているものとはおおよそ異なる作品であった、と言うしかない。楽しめた理由は、クローネンバーグもびっくりのグロ映像をこれでもかと出してくることもそうだが、何よりアイデアが面白いということにつきる。得体の知れない薬で、現在の体と若い肉体を交互に使い分けることができるようになった女性が、もう一度あの日の栄光を、と調子に乗る話なのだが、この分身同士の「バランス」が重要になるというアイデアが効いていて、老いの悲壮や世代間対立的な様相を帯びていくのが面白い。もう少し「ケア」の要素が前面に出るのかと思った(全裸の二人が真っ白な浴室で横臥し、意識のある方が意識のない方をじっと見つめるようなショットが序盤に出てくる)が、どちらかというと、決して離れられない運命であるにもかかわらず、利己心に端を発する憎悪を互いにつのらせ、それによって破局へと向かうというような、それはそれでなるほどと思わせるストーリーにはなっている。ある種の分身ものと言っていいと思うが、佐藤亜紀の『バルタザールの遍歴』のような同じ見た目のまま中身が入れ替わるということではなく、あるいはクローン人間ものとも異なっている。唯一似た構造をもった映画としては、アンドリュー・ニコルの『ガタカ』をあげてもいいかもしれないが、だいぶ志向が違う。また、かつての人気女優がもう一度あの日の栄光を、と「頑張る」映画としては、『何がジェーンに起こったか』とか『マップ・トゥ・スターズ』、『イヴの総て』などの映画も思い出されるし、それに加えて『2001年宇宙の旅』を初めとしたキューブリックへのオマージュがかなり露骨にある。
と、書いてはみたものの、やっぱりこの映画の演出にはまったく首肯できない。画面の中心にある出来事がまったく多層的な意味を持たぬまま、ただただ観客に押し付けられているように感じる。たとえばデニス・クエイドの露悪的な正面ショットはいずれも、「ミソジニー丸出しの嫌なプロデューサー」というステレオタイプを、そのステレオタイプを一切超えることなく、ただただ誇張して見せているだけだ。終盤にデニス・クエイドと何人かのステークホルダーが出てくるが、彼らもまた「いやらしい高齢男性」として画面をひたすら圧迫するにすぎない。これは、若き分身スー(マーガレット・クオリー)が、ただただセクシーで魅力的な女性としてのみ表象されることにも通じる。彼女がスタジオで踊るシーンでは、セクシーなお尻のアップをこれでもかと映すのだが、それはただ「若いセクシーな体ですよー」と言っているだけだ。あるいは、デミ・ムーアが、自宅から見える大型ポスター(マーガレット・クオリーが映っている)の光景を見て憔悴するシーンが何度かあるが、それもまた、「若い肉体を見て、自分の現実が受け入れられず憔悴してますよー」という心理的説明にすぎない。つまり、あらゆるショットに、お話と設定に沿った、単一の意味しか見出せない。細部やカッティングの妙による、空間の広がり、物語とはズレた意味合いやニュアンス(悲しくも笑えるとか、美しくも残酷、というような、例えば。)が画面に現れる瞬間がまるでない。たとえば決して傑作とは言えないパルムドール受賞作品『チタン』であっても、ほとんど意味もなく殺し続ける女が挙句に「何人いるのよ!」と途方に暮れるシーンなどに、そのような多義性があったのではないだろうか。
また、露骨なグロ描写を「楽しんだ」と書いたが、鏡に顔を何度も打ち付け、挙句に瀕死状態の相手を蹴りまくる過剰な暴力は、ただただ過剰な暴力でしかなく、過剰な暴力に覆われたこの世界で、新たにこんな過剰な暴力をなんの芸もなく見せる意味がいったいどこにあるのだろうと、なんだか見ていて悲しくなったし、映画ってのは本当にクソメディアだな、と実感した。
ちなみに、substanceをめぐる設定が意外と混みいっているのだが、それをほぼ説明なしに、ご都合主義的に進めちゃうあたりは脚本が優れていると思う(たとえば、観客に与えられる情報だけでは、脊髄液を採取しなきゃいけないことはわからないのに、デミ・ムーアは脊髄液用の注射器(ルンバール針)を見て、これを採取して筋注すればいいのね!と閃く。)にもかかわらず140分もあるのはどこかおかしい。
★★★★★☆☆☆☆☆
Megalopolis メガロポリス
これはつまらない。1時間で退席。室内で人と人が出会い、会話をする。その場面に一切の面白みがない。致命的につまらない。これと似た映画として、『マトリックス・レザレクション』を思い出した。最近のレオス・カラックスのようにつまらないのではないかと危惧していたが、そんなレベルですらなかった。
★★☆☆☆☆☆☆☆☆
失望を隠せぬままの帰り路で私を救った光景でお別れ。