監督:ヘルムート・コイトナー
1959年の西ドイツの作品。35mmフィルムでの上映。
タイトル自体がハムレットから引用されており、お話も基本的にハムレットを下敷きにしたものになっている。アメリカから西ドイツに戻ってきた若き哲学教授が、戦時中に事故死した父親の真相を探るという話で、ハムレットを下敷きにしているとくれば「真相」も自ずとわかるわけだが、黒澤の『悪い奴ほどよく眠る』と同様に、ハムレットのストーリーを借りてくることで、戦後の経済成長を経験している只中の「現在」に、誰も振り返りたくない「過去」が侵食してくる構造をとっている。ただし、黒澤版が、実によく練られた脚色を施されていたのに対して、本作は起承転結の順番についてはかなりの程度もとのストーリーラインに忠実だと感じた。そのせいか、主人公の男を精神疾患ということにしてスコットランドに送ってしまうという工作のパートなどが、やや野暮ったく感じてしまったし、自作のモダンバレエを見せて義父と母の反応を伺うという場面も、芝居をバレエに代えただけだが、そもそもこの筋自体が、意図と結果が一義的でまったく映画的じゃない。その意味で、このシーンを冒頭に持ってきてウェディングケーキで処理した黒澤版の脚色の見事さが逆に際立つ。
さて、ハムレットにおけるオフィーリアにあたるフィーを演じるイングリッド・アンドレは実に目力のある人で、最初に登場する場面 ー 主人公のジョンが迎えの車に乗らずに荷物だけ預けて去っていったあと、運転手が荷物を入れてトランクを閉めると、後部座席からその様子を見ているフィーの顔、というか目が映りこむ ー から非常に印象的だ。彼女の「じっと見る」という立ち位置はその後も継続され、翌朝、窓からジョンの方をじっと見る場面がとても面白いし、あるいはジョンが父の日記を手に入れてそれをバーで読み耽っているあいだ、彼女が店内でそれを静かに見ていたことがわかる(彼女が見るショットは撮られていないが)。こうしたじっと観察する立ち位置の面白さが、いささかステレオタイプなノイローゼ的顛末によって失われてしまうのが勿体無い。いっそシェイクスピアのことなど忘れて、彼女を「見る者」として徹底的に活かす方法もあったように思う。
ジョンとフィーのやりとりはいずれも良く撮れている。二人が隠れ家で結ばれる夜の場面では、二人が接吻をしたのち、ジョンがフィーの膝下に体を寄せると、二人はさっそく別々の画面で切り取られ、あっさり分断されてしまう。
また、ナチ時代のそれを思わせる労働者の彫刻が屋敷の玄関口にどーんと立っている装置が面白い。映画ではこの彫刻に一切言及がないのだが、当時のドイツ国民にはその意味がすぐに了解されたであろう。
ちなみにジョンが父の日記を探し当てる場面で、突然B級ミステリのような謎解きがあって、あまりのアンバランスさに笑ってしまったが、これは茶目っ気として肯定したい。